• ホーム
  • ニュース
  • インフォメーション
  • コンセプト
  • トピックス
  • お問い合わせ

web会議を独学で

社長交代を事前に知らされる立場にある者は社内でもごくわずかだ。 よほどのことがない限り、それが外部に漏れることはない。
とはいえ、多くのキヤノンマンに会いながら、そのきざしすらキャッチできなかったのは、ひとえに当方の感度の鈍きと、取材が甘かったからにほかならない。 私にとっては意外な、Y路社長の「早すぎる退任」だったが、M手洗肇新社長の誕生については「やはり落ち着くところに落ち着いたか」というのが率直な感想だった。
なんといってもM手洗肇は筆頭専務であり、副社長が空席のキヤノン経営陣のなかで序列はK来会長から数えて三番目。 早くから「ポストY路」の大本命と目されていたからだ。
さらに言えば、いまから四〜五年前になろうか、M手洗肇は「ポストY路」どころか、K来体制が一O年を超え、そろそろ次の社長は誰かと取り沙汰されはじめた噴、マスコミなどの下馬評ではM手洗肇がその一番手だったのだ。 実際にK来の次に社長になったのはY路敬三だったが、予想の段階ではY路よりもM手洗肇のほうがはるかに有力視されていたのである。
つまり、キヤノン周辺ではM手洗肇社長の誕生は時間の問題と見られており、今度の社長人事も意表を突くものでもなんでもない、誰が見てもきわめて順当な人事だったとひとまずは言えよ、フ。 にもかかわらず、私がこの人事に意外感を覚えたのは、私がM手洗肇専務の社長昇格に対して、一般に言われているほど絶対的なものではないと考えていたからだ。
もたら、M手洗肇は社長になれないかもしれないなーと考えるようになったきっかけは昨年(九二年)秋のK来会長との最初のインタビューだった。 そのときK来は、キヤノンとM手洗家の関係について次のように語ったものである。
くの誤解なのです。 たしかに故M手洗毅会長は当社の基礎を築いた功労者で、私もたいへんお世話になったが、そもそもM手洗さんは産婦人科のお医者さんで、そちらが本業ですから経営に対する野心は少ない人でした。
彼は根っからの理想主義者で清廉潔白。 社内に派閥や学闘ができるのさえ、非常に嫌っていた。

私もそういうのは大嫌い。 ですからキヤノンには基本的に派閥も学閥もない。
実力主義の会社なのです。 たとえM手洗さんと縁続きの人であっても、私は、特別扱いはしません」K来は、キヤノンが同族会社ではないということをしきりに強調していた。
いまになってみれば、これもK来一流の、社長交代をカ今ラージュするための発言だったような気がしないでもないが、私は単純にK来という人はキヤノンが世の中から「同族企業」と見られるのがよほど嫌いなのだろうと受け取っていた。 このときのインタビューで、K来はさらにこんなエピソードも問わず語りに披露してくれた。
記憶しているが、M手洗さんに代表権を返上して名誉会長になってくださいとお願いしたことがあるのです。 社長のK来はそのとき、いったのだ。
M手洗さんはキヤノンの創業者ということになっていた。 だが、よく調べてみると、M手洗さんはたしかに創業メンバーのひとりではあるけれど、創業者ではないのです。
持ち株比率にしても一パーセントに満たない。 会社への功績もたしかに大きかったが、絶対的なものではない。

だから代表権を返上してくださいと申し上げたのです。 一年間かけて聞き入れていただきました。
K来にとって、M手洗毅は自分を社長に指名してくれた、ある意味では「恩人」ともいえる人物だ。 K来はそのM手洗毅から強引に代表権を取り上げたというのである。
にわかには信じられなかった私は「なぜ、そういうことをしなければならなかったのか」とK来に問いかけてみた。 いする社員がまだまだ残っていましてね。
『優良企業構想』を実行していくうえで障害になると考えたからなのです。 M手洗さんご自身は立派な人ですが、まわりにご機嫌とりが群がる。
これではいかん、と心配になりましてね」その当時、M手洗毅はすでに八O歳をすぎていた。 会長職として第一様をしりぞいたとはいうものの、K来社長の「頭越し」に現場に「指示」を出すことがあった。
M手洗毅にはぜひとも「ニュートラル」なポジションにいてもらわなければならなかったということらしい。 要するにK来は、「私情」よりもキヤノンの発展を優先的に考え、キヤノンの最大の功労者であるM手洗毅会長に代表権のない名誉会長にしりぞいてもらったというのだ。
K来からこうした話を聞かされていただけに、M手洗肇がいかに優秀な人物であったとしても、「M手洗」という姓がかえってじゃまになるのではないか。 K来はM手洗肇を社長に指名しないのではないか、と私は考えたのである。
落ち着くところに落ち着いた人事K来は会長に退いた後も、依然としてキヤノンの「最高実力者」だった。 経営の実務はY路社長にゆだねて、自らは経済同友会の副代表幹事を務めるなど精力的に財界活動をこなしながら、トップ層の「高級人事権」だけは掌握し続けていたのだ。
ん、Y路社長とは十分に話し合いますがね」(K来)したがって、K来の意向を無視したキヤノンの社長人事はありえない。 というよりも、ありていに言ってしまえば、社長交代や次期社長の人選はいまだK来会長が行なっているといったほうがよい。
いわゆるキヤノンにおける「、キングメーカー」なのだ。 そのK来がキヤノンにつきまとう誤ったイメージ、同族企業的なイメージを払拭したいと考えているとするならば、M手洗肇社長の誕生はそうすんなりとは実現しないのではないか。

私はそう考えていたのだ。 結果的には「落ち着くところに落ち着いた」のである。
K来は新社長内定の際の記者会見で、「大政奉還」を意識したのかという記者の質問に対して、約二0年間、いろいろなところを担当してもらい、力量を観察した結果だ。 肇君は一貫して技術分野を歩いてきた人なので、技術で成長してきた当社のトップに適任と判断した。
それにY路社長よりも二歳若く、これでトップの若返りが図れる」ときっぱりと答えている。 余談になるが、「大政奉還」などという言葉を使われでも現代人にはまったくピンとこないのではなかろうか。
私自身、そんな言葉は学生時代に歴史の時間に習い覚えたにすぎず、現実味がない。 それに、もし死語に等しいこの言葉を、キヤノンの経営に当てはめて、あえて使おうとするなら、やはり、キヤノンとM手洗家の関係をきちんと整理したうえでなければ成立しないだろう。
それはともかく、私はなぜこの時期の社長交代だったのか、M手洗肇を社長にした真意はどこにあるのか。 もう一度K来に会って確かめてみようと思った。
三月の上旬、K来の三度目のインタビュー。 K来はまず、Y路社長の任期が二期四年と短くなったことについてこんなふうに語り始めた。
本当は一O年で辞めてY路に譲るつもりでした。 突然の円高で社長退任が一期遅れてしまった。
それが結果的にY路社長の任期を短くしてしまったのです。 K来の「独特の説明」によれば、自分の社長としての最後の二年間は、円高さえなければY路がすでに社長になっていたはずの二年間であり、その期間を加算すればY路社長のまあこれはK来特有の説明である。

K来の社長退任が一期延びたからといって、その分、Y路社長の任期が短くなっていいという根拠はどこにもない。

web会議の店舗情報です。一流のweb会議技術のご紹介です。
web会議です。web会議の情報をお知らせします。
web会議をダウンロードしましょう。お得なweb会議のクーポンです。

しつこいウェブ会議をダウンロードしましょう。ウェブ会議で販売促進をお手伝いします。
ウェブ会議が登場です。ウェブ会議といえばこちらのサイトです。
ウェブ会議のことならお任せください!ウェブ会議における戦略的パートナーです。